笹田 泰裕 PROFILE
YASUHIRO SASADA
JPBAプロボウラー / SASADA CHANNEL
JPBA52期・ライセンスNo.1310。伊賀にんにんボウル所属。
プロボウラーとしてトーナメントに出場するほか、YouTube「SASADA CHANNEL」を運営。プロチャレンジ、大会・イベント企画、LIVE League、オリジナルグッズなど、ボウリングを中心にさまざまな活動を行っています。
基本プロフィール
氏名 笹田 泰裕(SASADA YASUHIRO)
生年月日 1984年6月5日
出身地 大阪府
出身校 洛南高等学校 → 同志社大学
プロ入り 2013年
JPBA 52期 / ライセンスNo.1310
所属 伊賀にんにんボウル
用品契約 ハイスポーツ社
主な競技実績
JPBA公式戦 優勝 1回
シーズントライアル 優勝 2回
公認パーフェクト 1回
最高年間ランキング 24位
ボウリングを始めたきっかけ
小学生の頃は、ボウリングよりも外で体を動かすスポーツが中心でした。
小学5年生まではサッカー、小学6年生では野球に夢中に。
一方で父の影響もあり、小学4年生の頃にはマイボールを持ってボウリングも始めていました。
中学生になってからも野球を続けていましたが、グラウンドが大きくなって正直、挫折。
でも、不思議とボウリングだけは挫折することなく続けていました。
高校受験のため、ボウリングからは1年間離れて勉強に専念。
高校に入ったら野球部に入ろうと思っていました。
ところが――
まさかの野球部がない。
「じゃあサッカー部に」と見学へ行ってみたものの、1年間受験勉強ばかりしていた自分の目には、周りが身体能力の高いベジータばかりに見えました😑
そこで改めて目を向けたのが、ボウリングでした。
もちろん、ボウリングにもとんでもない選手はたくさんいました。
それでも、
「ひょろひょろな自分でも、技術を磨けばなんとかなるんじゃないか?」
そう思えたのがボウリングでした。
やっぱりボウリングは技術だ
高校卒業後は同志社大学へ進学し、体育会ボウリング部に所属。4年間、大学ボウリングに打ち込みました。
そして4年生のとき、全日本大学選手権大会で優勝。
当時の5人チームで、大学入学以前からボウリングをしていたのは私だけ。
まさかこのメンバーで優勝できるとは、夢にも思っていませんでした。
では、その大会で一番打ったのは経験者だった私なのか?
違うんです。
私の同級生で、体も本当に小さな選手でした。
しかし大学から4年間技術を磨き続け、10人打ち、ウッドレーンという環境の中、15ゲームでアベレージ243を叩き出しました。
その姿を目の前で見て、
「やっぱりボウリングは技術なんだ」
と思いました。
身体能力では周りに敵わなくても、技術を磨けばなんとかなるかもしれない。
高校時代にそう思って選んだボウリングでしたが、大学最後の大会で仲間がそれを目の前で証明してくれました。
挫折、挫折、挫折。そしてプロへ
大学卒業後は社会人になりました。
しかし、そこからは――
挫折、挫折、挫折の繰り返し。
なかなか自分の道を見つけることができず、体も心もボロボロになっていました。
そんな中で、自分に残された道として考えたのが「プロボウラー」でした。
2013年、JPBAプロテストに合格。
52期、ライセンスNo.1310としてプロの世界へ。
「プロになったら、トーナメントに出て賞金を稼げるかもしれない」
そんなことも思っていました。
ところが――
プロになって、また挫折😂
小原照之プロやジョン・テハさんなど、とんでもない選手たちを目の前で見て、
「こんなん勝てるかー😂」
プロになれば、それだけで生活していける。
そんな甘い世界ではありませんでした。
プロボウラーを「仕事」に
それでも、なんとかプロボウラーとして活動を続けている中で、現在の妻と出会い、結婚しました。
すると今度は、
「家族を養わないとあかん!」
自分一人が生活できればいいわけではありません。
妻との出会いは、それまでの「プロボウラーを続ける」から、
「プロボウラーを仕事にする」
という考えに変わる、大きなきっかけになりました。
どうすればプロボウラーとして生きていけるのか。
そんなことを模索していた頃、栗本プロや小林孝至プロがYouTubeで活動していることを知りました。
その影響を受けて始めたのが、
YouTube「SASADA CHANNEL」でした。
自分のボウリングにも価値があった
SASADA CHANNELを始めた当時は、プロボウラーがYouTubeで発信すること自体がまだ珍しい時代でした。
最初に発信したのは、自分自身のボウリングについて語る動画。
すると、これが意外にも見てもらえました。
それまでトーナメントではほとんど賞金を獲得できず、
「自分のボウリングなんて無価値なんじゃないか」
と思っていました。
でもYouTubeでは、自分の経験や考え方を面白がってくれる人がいた。
試合の成績とは違うところで、
「自分のボウリングにも価値があるんだ」
と思えるようになりました。
そこからSASADA CHANNELでは、レッスン動画を中心に制作するようになっていきました。
レッスンだけじゃない、自分の道を探して
ところがその後、日置秀一プロや加藤祐哉プロといったトッププロもYouTubeでの発信を開始。
トッププロが直接レッスン動画を発信するようになりました。
そうなると、
「同じことをやっていても、自分の需要は薄れていくな😂」
と感じるようになりました。
じゃあ、自分にしかできないことは何なのか。
レッスンだけではない、SASADA CHANNELとしての生きる道を模索するようになりました。
そんな頃――
そして、顔が白くなった。
私の顔が白くなる最初のきっかけを作ったのは、伊賀にんにんボウルの上村社長でした。
上村社長もプロボウラー。
ある年の七夕に、なぜか私のために織姫の衣装を買ってくれました。
せっかく織姫になるなら、
「どうせなら顔も白くしよう。」
そう思った私は100円ショップへ行き、とにかく白そうなファンデーションを購入。
ところが――
全然きれいに白くならない。
白塗りというより、
ただただ、お化けになりました😂
それを見た支配人と妻から、
「やるんだったら、ちゃんとやってくれ。」
と怒られ、そこから妻がきれいに真っ白に塗ってくれるようになりました。
こうして誕生した白塗りが、いつしかSASADA CHANNELの名物の一つに。
今では全国各地で開催していただく笹田プロチャレンジでも、お客様からご希望があれば今でも白くなっています。
「セブンテンの笹田」の始まり
もう一つ、今では私を象徴するものになったのが、
「セブンテン」
です。
ありがたいことに、今では「セブンテンといえば笹田」と言っていただくこともあります。
でも実は、始まりは私ではありません。
きっかけは岸田有加プロでした。
あるリーグ戦で岸田プロと一緒に投げていたときのこと。
ストライクだと思った投球で9番ピンが残ると、岸田プロが「きゅんです🫰」のシールを配っていました。
それを見て、
「これ面白いな」
と思った私。
「じゃあ僕は、セブンテンが出たときにやってもいいですか?」
と聞いたところ、快くOKしていただきました。
そこからセブンテンが出るたびにシールや缶バッジを配るようになり、それが少しずつボウリング業界に広まっていきました。
そして気がつけば、
「セブンテン=笹田」
と言っていただけるように。
今では「SEVENTEN」としてグッズを展開するなど、一つのブランドにまでなりました。
まさかの公式戦初優勝
YouTubeを始めたことで、それまで接点のなかったさまざまなトッププロと出会う機会も増えました。
その中でも、私のボウリングに対する考え方に大きな影響を与えてくれたのが、日置秀一プロでした。
日置プロから学んだのは、
「ボウリングは考え方が大事」
ということ。
もちろん技術は大切。
でも、どう考えて投げるのか。どう試合に向き合うのか。
技術だけではなく、考え方一つでボウリングは変わるということを学びました。
そして、それはボウリングだけではなく、人生にも通じることなのかもしれないと思うようになりました。
そんな中で迎えた、
グリコセブンティーンアイス杯。
まさかの――
公式戦初優勝!
プロになった頃、とんでもない選手たちを目の前にして、
「こんなん勝てるかー😂」
と思っていた自分が、公式戦で優勝することができました。
首の激痛。そして14ポンドへ
ところがその後、寝返りすら打てないほどの首の激痛に悩まされることになります。
しばらくして落ち着き、どうやってボウリングに復帰するかを模索する中で考えたのが、軽いボールを使うことでした。
そこで投げてみたのが、
14ポンドのジェム。
すると――
圧巻のピンアクション。
「これでいいんじゃない?」
そう思ったことをきっかけに、14ポンドへ転向しました。
転向1年目は、公式戦で予選落ちなし。
「14ポンドでも戦える」
そう感じました。
しかし、2年目、3年目は思うような成績を残すことができませんでした。
14ポンドには14ポンドのメリットがある。
15ポンドには15ポンドのメリットがある。
どちらか一方が正解ということではなく、それぞれの良さをどう活かすのか。
今も自分にとっての正解を探しながら、試行錯誤を続けています。
今後について
プロボウラーになったときは正直、
「トーナメントに出て賞金を稼ぎたい」
と思っていました。
でも、現実はそんなに甘くありませんでした。
思うように賞金を稼ぐことはできず、自分なりの道を模索しているうちに出会ったのが、まさかのYouTube。
もちろん、次の一勝はまだまだ諦めてませんけど(笑)
YouTubeを始めた当時、自分がまさかこれだけ多くの方に知っていただけるプロボウラーになれるなんて、夢にも思っていませんでした。
振り返ってみれば、今こうして活動できているのは、本当にいろいろな人のおかげです。
自分で作ったビクトリーロードを歩いたことなど、一瞬たりともありません。
父の影響でボウリングを始め、大学では仲間から技術の可能性を教えてもらいました。
妻との出会いによって、プロボウラーを「仕事」にすることを考えるようになりました。
YouTubeを始めるきっかけも、自分の新しい道を探すきっかけも、今のSASADA CHANNELのスタイルが生まれたきっかけも、その時々で出会った人たちからいただいたものばかりです。
そして、動画を見てくださる皆さん、全国のプロチャレンジやイベントに来てくださる皆さんがいなければ、今の活動は成り立ちません。
せっかく皆さんのおかげでいただいた、このポジション。
これからは、皆さんに楽しんでいただけるもの、そして少しでも役に立てるものにしていきたいと思っています。
楽しいイベントはもちろん。
プロボウラーを応援して楽しめる企画も。
そして、参加する人がある程度真剣になって勝負できる大会も。
YouTubeだけにこだわらず、
SASADA CHANNELだからできる企画や場所づくり。
これからも、自分なりに続けていきたいと思っています。